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プラトンのイデア論とは?わかりやすく簡単に解説【意味と背景】」

「イデア」という言葉をご存知ですか?これは、プラトンの「イデア論」に関連し、大学の現代文の試験でも頻繁に登場する概念です。

しかし、哲学的なテーマなので、理解が難しいと感じる方も多いかもしれません。そこで今回は、「イデア」の意味やその語源、使い方などについて、できるだけ分かりやすく解説していきます。

目次

「イデア」の意味を簡単に解説

「イデア」の辞書での定義

まずは、「イデア」という言葉を辞書で調べてみましょう。

イデア【(ギリシャ)idea】

《見られたもの、知られたもの、姿、形の意》プラトン哲学で、時空を超越した非物体的、絶対的な永遠の実在。感覚的世界の個物の原型とされ、純粋な理性的思考によって認識できるとされる。中世のキリスト教神学では諸物の原型として神の中に存在するとされ、近世になると観念や理念の意で用いられるようになった。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

「イデア」の基本的な概念

「イデア」とは、プラトンの哲学において「時空を超越した非物体的で絶対的な永遠の実在」を指します。簡単に言うと、「観念」や「理念」といった言葉で表現されることもあります。

「観念」は「頭の中で考える主観的な内容」、そして「理念」は「人間の理性(論理的思考)によって得られる最高概念」を意味します。

 

具体例で考える「イデア」の理解

例えば、私たちは「美しい花」「美しい景色」「美しい絵」を直接目にすることができます。これらは形があり、実際に存在しているからです。

しかし、これらには共通して「永遠の美」が欠けていることに気づくでしょう。美しい花は時間と共に枯れ、美しい景色も移り変わり、美しい絵も劣化することがあります。つまり、形のあるものは「美しさ」を永遠に保持することはありません。

一方で、「美しい」と感じる共通の根本的な「美」が存在しているはずです。この「美」は時間と共に変化したり、失われたりすることはありません。このような変わらない「美」を、プラトンは「イデア」と呼んだのです。

 

プラトンが唱えたイデア論

「イデア論」の基本的な考え方

「プラトンのイデア論」とは、あらゆる物事の本質は「イデア」にあるとする哲学的な考え方です。言い換えれば、私たちが感覚的に捉える物質的な世界や対象は、実際には「イデア」の似像に過ぎないということです。

 

物事の本質は「イデア」

古代ギリシャの哲学者プラトンは、外界に現れる物事はすべて仮の姿であり、時代を超越した永遠不変の「イデア」こそが実在であると考えました。

ここでの「実在」とは、意識から独立して客観的に存在するものを指します。

 

プラトンの「存在」の問いかけ

プラトンは「この世界が本当に存在しているのか?」という疑問を繰り返し問いかけました。

なぜなら、人それぞれで物体の見え方が異なる可能性があるからです。では、どうすれば個々の主観的な見方から独立した物体そのものの実在を確認できるのでしょうか?

 

理性による「イデア」の確立

その答えは、プラトンによれば「理性」を使うことによってこそ、本当の実在が確かめられるということです。

理性に基づいた思考を通じて、私たちは絶対的本質である「イデア」の世界に到達できると考えました。

 

「美」「真実」「善」のイデア

プラトンは「美」のイデア以外にも、「真」のイデアや「善」のイデアなどを徹底的に追求しました。

つまり、「本当の美」「本当の真実」「本当の善」とは何かという問いに深く向き合ったのです。

 

イデアと物事の関係

プラトンのイデア論によれば、個々の対象が持つ美・真実・善は、それぞれが「イデア」を部分的に反映したものに過ぎません。

つまり、世の中に存在する物事の本質は「イデア」であり、私たちが目にする美しい物や正義の実現は、イデアの影に過ぎないという考え方です。

 

「イデア」の語源・由来とは?

「イデア」の語源と意味

「イデア」という言葉の語源は、古代ギリシャ語の「idein」に由来しています。

この「idein」は「見る」という意味の動詞です。この動詞から派生してできた「idea」は、「見られるもの」や「知られるもの」を表し、「姿」や「形」を意味していました。

 

プラトンによる「イデア」の新しい解釈

しかし、プラトンは「idea」を単なる「姿」や「形」とは考えませんでした。

彼は「イデア」を、目に見える世界ではなく、異なる次元に存在する対象として捉えました。その結果、イデアは単に物理的な形ではなく、人間の理性的な思考によって認識される存在であると考えられるようになりました。

 

「イデア」の起源と神の世界

「イデア」という考えが最初に論じられたのは紀元前で、当時は「イデア」が「神の世界」に存在するものだとされていました。

中世の神が絶対的な価値観を持っていた時代では、「イデア」は神の領域にあると信じられていたのです。

 

近代における「イデア」の変化

この考え方が変わり始めたのは近世(近代)に入ってからです。近代では、神の絶対的価値観から人間の理性を中心とした価値観へと変化が生じました。

そのため、現代では「イデア」という言葉は人間の思考や理性に基づく「観念」や「理念」を指す意味で使われるようになりました。

 

 

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